高収益チーム大分トリニータ、稼いだ利益の行き先

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社長・溝畑宏の天国と地獄

前から気になっていた「社長・溝畑宏の天国と地獄」を読みました。丁寧な取材により作り込まれた大変面白い本でした(オススメです)。内容をざっくりまとめると以下の通りです。

内容の骨子

  • 数学者である父がイタリアでW杯を味わい感動。息子である溝畑氏を直ちに呼び寄せた上、見せた。サッカーの熱が溝畑氏に刻まれる。
  • 当時、日本はW杯開催を控えていた。溝畑氏は赴任先である大分で試合を開催したい。
  • そのためには一定の基準を満たすサッカーチームがあることが条件であり、立ち上げた。
  • 地域柄、小藩分立の歴史もあり地元は一枚岩でない。支援がなかなか得られない。勝たないと注目もされない。溝畑氏は勝つことが正義であると認識し、チーム維持・拡大に尽力。
  • 開拓しては経営不振等によるスポンサー撤退が繰り返され、リーマンショック発生。
  • これまで支援してきた知事が勇退。新任知事、そして前知事を否定する経済界勢力が、設立をサポートしたバラマキ政策を推進した前知事を否定。トリニータは地元からの支援が得られず。
  • 地元の有力者村上氏によると、実は溝畑氏就任時からトリニータ財務に5億の「穴」があった。1年目の貸借対照表の借入金の対照に営業権という項目を持っていった。社長に就任した溝畑氏はその穴をそのまま引き継いでいた。(穴の経緯や詳細は本書では不明)
  • その時点でトリニータを強力に支援してきたマルハンの胸スポンサーがJリーグになかなか認められず痺れを切らし2009シーズンに契約終了決定。
  • 溝畑氏は代わりのスポンサー探しに奔走。代わりのスポンサーが見つかるも、連鎖販売取引で処分を受けたことがある会社であり、サポーターは反対。試合の際に反対の横断幕が踊り、立ち消え。
  • 資金繰りが行き詰まる。地元及びJリーグからの支援の前提として経営陣と株主の刷新が要件となり、事実上解任。

所感

全体として、変わり者の溝畑氏がサッカーチーム設立を思い立ちチャレンジしたものの、地方にありがちな人間関係のドロドロに巻き込まれ、最後は引きずり出されものと受け止めています。私も地方に仕事に行って提案をした時、企業は「役所が協力しないと。20年前は・・・・」、役所は「こういうのは民間が動かないと、どこどこの会社は・・・」なんてことがあったり、別の場所では「お前は村長派か、元村長派か」などと聞かれたり(もちろんどっちでもありません)、経験したことがあります。
但し、それが良い、悪いではなく、人間はそういうものなのだと考えています。一つの企業内でも「あそこの部署のあいつとはけしからん。あまり仕事の話もするな」という話も出ることもあります。要は、あるサイズのコミュニティの中ではそういうことは起きるものだと考えています。そして、ある段階で溝畑氏は地雷を踏み、それは時間の問題であったと思っています。しかし、溝畑氏がいなければトリニータはなかったですし、マネジメントとしてもちろん足りないものがありましたが(もっと外部とのコミュニケーション改善の必要性はかなりあったように見えます)、ゼロから1を作ったことはリスペクトされるべきであると思っています。
また、「W杯の試合開催により、その地方のサッカー熱が育まれる」という考えが日韓W杯当時の世論としてありましたが、色々なバックグラウンドを持ったJリーグのチームが生まれた今、その考えは本当だったのか検証されてもいい時期にきているでしょう。
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溝畑時代とアフター溝畑

チームの財政破綻の責任を取り溝畑氏は辞任となりました。この結果、果たしてチームは良くなったのか、財務諸表の切り口からポイントと思われる項目で比較してみたいと思います。なお、前提としてはデータがJリーグのデータが2008年1月期(2007シーズン)から2019年1月期(2008シーズン)となること。そして、財務諸表の項目が2011年1月期までとそれ以降が異なるので、一部束ねたりして平仄を合わせていますので予めご了承ください。

財務状態(貸借対照表)をみる

元々開示されている財務諸表は概要レベルですが、2011年1月期までは貸借対照表の流動負債と固定負債の区分けもないくらいでしたので、溝畑時代とそれ以降で比較できる数値は自己資本比率のみと考え、以下の通り推移を示します。
自己資本比率推移
財務状況が悪いことが最大の問題となり溝畑氏が退任したこともあり、溝畑時代終了以降は毎年改善しています。特に溝畑氏が社長時は債務超過の状況でしたが、青野氏が社長となって以降は債務超過額は減少を続け、20151月期には純資産(資本(純資産)の部合計)がプラスとなりました。
中でも大きなイベントは2014年1月期末から2015年1月期にかけて行われた増減資です。
2014年1月期末には減資し、資本金は469百万円から2百万円となり、68百万円あった資本準備金もゼロとなりました。そして、2015年1月期末は資本金と資本準備金がそれぞれ40百万円になっています。2014年1月期末に2百万円の資本金が残ったことと、期をまたいで増資が行われたプロセスの詳細は不明ですが、報道によると100%減資の上、増資を行ったということですので、80百万円(2015年1月期末の資本金と資本準備金の合計)- -364百万円(2014年1月期末の債務超過額)で、合計444百万円の増資が行われたようです。増資額の金額について報道ではまちまちでしたが、この財務諸表を見る限りこの金額なんだと思います。
何が行われたかというと、教科書的にいえば今まで溝畑時代の株主に責任を取らせたという言い方ができます。平たく言い直すと、溝畑時代の株主を追い出して、新しい株主のものとなったということです。新しい株主は大分県と企業再生ファンド等です。
なお、増減資については、以前名古屋グランパスの増減資についてもご紹介させていただきましたが、増減資の活用事例としてそちらも参考になると思います。
資金繰りに窮して終わりを迎えた溝畑時代ですが、結果のみ申し上げると、以降引き継いだ青野社長及び榎社長はJ3降格など厳しい経験をしたものの、チームを存続させただけでなくチームの財政状況が改善していることが分かります。

損益計算書をみる

次は、大分トリニータの損益計算書をみてみます。損益計算書の概要に、話で触れる部分を青く囲いました。
損益計算書推移

営業収益

営業収益はチームの売上高を差します。一般に、営業収益のおよそ50%は人件費に充当されますので、営業収益が多ければ多いほど、選手確保の観点でチーム強化に直結します。
溝畑時代の最後の3期は2008年1月期が2,261百万円、2009年1月期が2,184百万円、2010年1月期が1,915百万円と概ね20億円前後の金額です。
溝畑後の営業収益の比較数値のピックアップをすると、同じJ1のカテゴリーにいた2014年1月期が適していると思います(本当は2019シーズンの2020年1月期の数値と比較したいですがまだ開示されていないので)が、営業収益は1,406百万円にとどまります。なお、最も新しい営業収益のデータである2019年1月期でも1,128百万円です(J2ですが)。この数字は、溝畑氏が最大の強みとしていた営業力を際立たせているのではないでしょうか。

広告料収入

この営業収益の内訳として、割合が大きく、かつ経営の効果が反映されやすいとみられる広告料収入と入場料収入を見てみます。
広告料収入が営業収益のうち最大の割合を占めますが、溝畑時代は2008年1月期が968百万円、2009年1月期が888百万円、2010年1月期が736百万円でした。
溝畑後は、J1で戦った2014年1月期が680百万円で、最新の開示である2019年1月期が486百万円でした(J2ですが)。昨今の環境(コロナ前)とJ1再昇格を勘案すると、20201月期の広告料収入は溝畑時代に追いつくかもしれません。
なお、2010年1月期は7月31日付でマルハンがスペシャルスポンサーから降りた期です。もし、後継のスポンサー候補で、サポーターの反対により立ち消えになったフォーリーフジャパンと契約していたら、どうだったのかなあと想像を膨らませてしまいます。

入場料/入場者数

入場料収入については、溝畑時代は2008年1月期が492百万円、2009年1月期が549百万円、2010年1月期が470百万円でした。溝畑後は2014年1月期が370百万円でした。
2020年1月期(2019シーズン)の入場料収入は開示されていませんが、入場者数は比較できます。
溝畑時代では、20081月期(2007シーズン)が平均19,759人、20091月期(2008シーズン)が同20,322人(2007シーズン)、20101月期(2009シーズン)が同18,428人でした。
しかしながら、溝畑後で同じくJ1リーグで戦い、最も新しいデータである20201月期(2019シーズン)は同15,347人です。現在も溝畑時代に及びません。

当期利益率

営業収益から各種コストを引いた当期利益をみてみましょう。
溝畑時代も最終年度は616百万円の大赤字を計上しましたが、少なくともその手前の2年間は黒字を出しています。
ところが、溝畑後については税引後で驚くことに億単位の利益を出しています。特に凄いのが20171月期です。J3にてシーズンを過ごしたにもかかわらず、64百万円の黒字を計上していることです。J3で稼ぐのが大変なのはこちらにもご紹介させていただきました。
黒字をどのように捻出したかというと、下表の通りとにかく人件費削減に尽きるでしょう。
2012年1月期以降とそれまでとは人件費の定義が異なりますが、溝畑時代は60%70%という水準でしたが(これは明らかに過剰な水準です)、人件費の定義を比較できる溝畑後1期目の20111月期は42.3%に低下しました。金額ベースで見ると1/3近くに削減しています。
これらの努力の結果として億単位の当期利益を計上しているのですが、どれくらいかというと下表の通りです。
年度別当期利益率ランキング
J1からJ3まで含めて、開示されている最新3シーズン、全てで上位の当期利益率を計上しています。
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利益はどこへ行くのか

財務諸表を眺めていて気になったのは、当期利益イコール利益剰余金であるということです。どういうことかというと、当期利益はその期に稼いだ利益であり、期を締めた後に株主総会を経て配当を承認し、株主配当を行ない、残った分を利益剰余金としてプールするのが一般的です。大分は当期利益=利益剰余金です。これは期を終えた後に残った利益を全て吐き出してしまっているということです。例えば、2015年1月期は94百万円の当期純利益がどこかに行きました。全て配当だとすると、40百万円の資本金に2倍以上の配当が1年で支払われるということ。配当性向は235%となり、増資に応じて主要株主となった大分県はとんでもないボッタクリをやっていると思いました(通常は30%程度)。
しかしボッタクリというのは誤解でした。どうやらファンドから株を買い戻して償却しているようです。ちなみに仕訳について詳しい人に聞いてみると以下の通りとのこと。
自己株式 ×××/現金 ××××
利益剰余金×××/自己株式×××
色々ググってみると、稼いだ利益はファンドからの株の買い戻しに充当されていたようです。20151月期に行われた444百万円のうち、350百万円出資したファンドからの株式の買取であるとみられます。どれくらいの利益を乗せてファンドから株を買い戻しているかは不明ですが、どうやらファンドは大分PORTAファンド(https://www.smrj.go.jp/doc/sme/250430_ooita.pdf)というところらしく、大分銀行系のファンドです。地方銀行はどこでも地元経済界において押しも押されぬ有力企業ですが、銀行は5%ルールというものに従っており、企業の株を5%を超えて保有することができません。このような事情から、ファンドのお金をあてがったのでしょう。しかしながら、ファンドが出資するということは一定の利益(おそらく結構な)をのせて、かつ一定期間での返済を求めていたと推察され、大分トリニータには大きな負担となったのではないでしょうか。利益を出しても翌年以降の将来のための投資に活用できず、単年ベースで田坂監督や片野坂監督は戦ってきたわけです。しかも予算が絶対的に少ない中で。
この利益が吸い上げられる形はいつまで続くのかを考えてみようと思いましたが、Wikipediaに書いてありました。2019年6月25日の会見で買い戻し完了を発表したとのことです。これからは、稼いだお金は純粋に選手等に使うことができ、チームとしての選択肢が増えることでしょう。
私は、のちにこのファンドを組み入れた経営再建策が適切だったのか、そしてその良し悪しについて検証されるべきだと思います。

まだ、本当の溝畑後のスタートラインに立っていない

溝畑氏の経営が良かったのか、悪かったのか、そこら辺の評価は私には難しいです。現地は現地で本に記載されていない様々な経緯があると考えています。大事なことはチームが発展することです。物ごとは否が応でも何かの犠牲を踏み越えて進むものなのかなと思います。
とりあえず先述の通りファンドによる出資の禊は落としましたが、大分トリニータが溝畑後のスタートラインに立ったと言えないと思っています。新しいスタートを切ったと言えるのは次の3つを満たした時なのだと思います。
  1. 資金繰りに窮する財務状況を克服すること
  2. 営業収益を溝畑時代の水準とすること
  3. マネジメントが県主導人事でなくなること
溝畑時代の最後の財務の手当のための穴は漸く埋めることができました。
しかし、売上規模は未だ溝畑時代の水準に戻っていません。入場者数もまだその頃の水準に戻っていません。とは言え、カタノサッカーと言われて昨シーズンは台風の目となり、そして唯一J1からJ3として全カテゴリーを経験したチームとして、そしてナビスコカップのチャンピオンを経験し、溝畑氏がゼロから作ったチームは歴史に厚みを持つようになりました。先述の売上規模と入場者数も遅かれ早かれどこかで追いつくことでしょう。
現在、最大の課題は上述の数字以上にマネジメント体制が根本的に変わることだと思います。
溝畑氏を継いだ青野氏、榎氏は県の職員出身です。溝畑氏も大分トリニータ社長になるために退職したものの、元は自治省、大分県からの出向でした。
この榎社長が現在出向なのか、転籍して専任なのかは不明ですが、仮に前者であれば出向元との利害の対立が発生時にトリニータのための経営判断が出来るか懸念が生じます。
仮に後者であったとしても、昨今のJリーグでは、鹿島アントラーズ、東京ヴェルディ、町田ゼルビアなどの経営の移転が相次ぎ、また、札幌、岡山、琉球など優秀なマネジメントによりチームが発展する事例がみられます。このような状況のもと、スピード感のあるマネジメント体制を構築するかがテーマとなる中、県庁から来た職員が社長を歴任するのは異例な状況と言えるでしょう。
2019年6月、貸会議室大手のTKPが大分トリニータ株の20%を取得し(ファンドの株の行き先の一つかもしれません)、筆頭株主となりました。ここを切り口にマネジメントを変革することができれば本当の溝畑後のスタートであり、そして飛躍の第一歩となるのかなと思います。

最後に

先ほどご紹介の本によると散々な形で大分トリニータを追い出されてしまった溝畑氏のFacebookを覗いてみました。最近もかつての主力選手であった高松氏など当時の関係者から誕生日のお祝いを開いてもらっていたようです。まだまだトリニータでやりたい気持ちもあるようですが、トリニータに限らず何らかの形でJリーグでまた関与されることを期待しています。

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